前回の東京オリンピックの翌年、1965年、私は南米アンデスに登山に行った。日本を出発して帰国するまで約10か月の超貧乏旅行だった。当時は一人500ドルしか外国に持ち出せなかったので当然、極貧旅行になる。1日1ドル生活だ。
ボリビア高原にて(20代の頃の筆者)
ペルーとボリビアで3か月の登山を終えて、帰途はヒッチハイクでパナマ、米国と渡り歩いた。その時の経験が現在までの人生に大きく影響を与えている。簡単に言うと貧乏人の方が親切だ、ということだ。貧乏学生は金持ちには追い払われる。
ペルーの峠道でヒッチハイクをしているとトラックが止まってくれた。車に乗って世間話をしているうちに運転手が「泊まるところがあるのか」と聞いてきたので、「野宿する」と答えると、「俺の家に来い」と言って泊めてくれた。
家に着くと、竪穴式住居のようなあばら家で、奥さんと子供が3人いた。腹が減っているだろうと食事を出してくれた。貧乏学生にはありがたかった。翌朝、ごはんが終わると、途中の町まで送ってくれた。別れ際、運転手がくしゃくしゃになった5ドル紙幣を差し出した。
「金がないんだろう、持っていけ」と言う。5ドルといえば、当時、彼らが1週間は生活できる金だった。いくら何でもそんな大金を受け取るわけにはいかなかった。でも彼は紙幣を私の手に押し付けて言った。「困っているときはお互い様だよ」。
トラックを見送りながら涙が止まらなかった。5ドル札を握りしめ、「きっと来年帰ってきてお礼をしよう」と固く誓った。
しかし、日本に帰ってきても忙しさに紛れて、南米を訪れてのお礼参りができないまま時間が過ぎていった。
それから30年余りたったある時、東京の街角でリュックを背負った外国の若者が歩いているのを見かけた。思わず語りかけ、「俺の家に泊まれよ」と言った。30年前の自分が重なったのだろう。その時、ふと思った。
「自分が受けた恩はなかなか返せないけど、違う人に親切にすれば、恩返しになるのではないか」
それ以来、貧乏そうな旅の若者を見るたびに自宅に泊めるようになった。
青森山田学園の理事長として、留学生と日本人の若者を対象に、中小企業の経営者とスタートアップの支援に乗り出した原点はあの時のトラック運転手から受けた恩に遡る。国を超えて、人種を超えて助けあう。若者を育てていく。
青森大学東京キャンパスが掲げる「創造力にあふれ、挑戦的で、強いリーダーシップを発揮する経営者を育てます」というスローガンは、50年以上前の南米の山の中の峠道に芽生えていたのだと思う。
岡島成行(おかじま しげゆき)
青森山田学園理事長
1944年横浜生まれ。上智大学卒。読売新聞社で記者として30年勤務。1999年4月より青森大学大学院教授。2002年大妻女子大学教授。2014年4月から現職。