私は昭和63年から江戸川区の広報担当となりました。その頃は頻繁に岡島理事長とお目にかかっていました。私はその頃から、すでに区内に大学を誘致したいと思っていました。その時の中里区長も同じ思いだったと思います。
岡島理事長は読売新聞において環境問題の第一人者として国際的に活動されていました。当時、私に勧めてくださったのは、江戸川区の環境の豊かさを活かしたら環境の面でリードできるのではないか、ということでした。また、アメリカの環境団体が東京に進出したがっているけれど、東京は家賃が高くてなかなかオフィスを構えることができない。そのニーズをキャッチし、タワーホール船堀を拠点とする世界の環境NGOセンターを作ったらどうだろうか、世界の環境団体による国際会議の開催なども考えられる、江戸川区の環境対策を進展させましょう、というアイデアでした。結果的には実現しませんでしたが、そのようなお話をいただいていたことを、懐かしく思い出します。
ただその頃は東京23区内に大学が設置できない制度になっていました。工場等制限法が昭和34年に制定され、それが区内に適用されていました。これは、工場の設置を制限し、人口がそこに一極集中するのを防ぐための法律で、大学にも同様に適用されておりました。でも、郊外に大学を設立することは問題がありません。当時、私はこの法律による規制がもどかしいと感じていました。大学設立を求めているにも関わらず、できないという現実に阻まれていました。この法律は平成14年に解除されるまで続いたのです。
その後、電気通信大学の先生方が中心となり、「スーパー連携大学院構想」という計画が持ち上がりました。国立大学院を東京に集め、そこで大学院教育を行うという趣旨のものでした。私は区長に就任してからこの構想に長く関わっていました。民間と結託して進めていこうとしていました。しかしながら、スポンサーが見つからず、うまくまとまりませんでした。「とても面白い構想だ」と感じていましたし、モノづくり系大学の計画で、中小企業の多い江戸川区に適していると感じていましたので残念でした。この構想が順調に進んでいたら、この大学を誘致する件はその時点で一段落していたと思います。
構想が実現できないまま、時間が経過していきました。しかし、私だけではなく、江戸川区の行政体としても大学が欲しいという思いが募っていきました。そして、旧清新第二小学校が統廃合校になることが決まり、後利用をする団体の公募を行うことになったのです。
その結果、青森山田学園が利用団体と決定し、青森大学が江戸川区に来ていただけることになりました。江戸川区の積年の願望が実ったのです。私たちは感激し、心から素晴らしい大学にしていただきたいと思っています。議会で青森大学誘致について諮りましたが、もろ手を挙げて大賛成でした。
江戸川区の青森大学キャンパスにはまず総合経営学部が設置されますが、中小企業の後継者やベンチャー起業家を育成していくことを目指しているということです。このことは江戸川区内の企業のほとんどが中小企業である環境にまさにぴったりだと考えています。
江戸川区には103校の小中学校があります。これからは子どもの数が減るために統廃合の可能性が高くなります。そのため、まだまだ学校校舎が空く余地があります。大いに応援をします。キャンパスの拡大だけではなく、大学を含めた地域活性化につながりますようお力をお借りしたいと思っています。東京キャンパスのご発展を心からお祈りしています。
多田 正見(ただ まさみ)
前江戸川区長
1935年愛知県出身。早稲田大学卒。1956年東京都入都、1972年より江戸川区役所に47年勤務。1999年から2019年4月まで江戸川区長。