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03.金井 一賴(青森大学学長)

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2018年4月に青森大学に赴任するまでは、いろいろな大学で研究者、教育者として活動してきた。この間の37年間、学部長等の「長」のつく肩書きの役職に就いたこともなければ、就きたいと思ったこともなかった。むしろ、意識的に避けてきたところもあった(北海道大学時代の2年間、選挙によって評議員になったことはあるが、学部長には評議員を辞めることはできないのかと質問したことさえあった)。また、ある大学に移動する際には、「長」のつく仕事は避けてほしいと要望もした。したがって、青森大学学長の話が舞い込んできたときには、「なんで私が?」と自分自身が驚いたくらいである。
青森大学学長の就任は偶然の結果である。私と青森大学を繋いだのが、東京キャンパスであった。東京キャンパス構想がなければ、私が青森大学に来ることはなかったであろう。 振り返ると、私の人生そのものが人との出会いによる偶然に操られているといえるかもしれない。
大学卒業後は、多くの学生と同じように就職試験を受けて民間企業に就職した。本社の経理部主計課に配属され、当初、経理部ということで必ずしも自分に合っているポジションとは思わなかったが、仕事自体は、全社を把握できるセクションでもあり、上司がチャレンジングな仕事を与えてくれたお陰で、極めて多忙ながらも面白く仕事ができた。予算、決算が重なる時期には残業が重なり、今で言うならば働き方改革が必要なブラック状態であった。しかし、当時は、私が入社した会社に限らず、ほとんど全ての会社で、それが当たり前の状態であった。日本の経済が右肩上がりで、多くの企業が成長を追い求めていた時代であったのである。
私が、研究者の道に入ることになったのは、当時はあまり意識していなかったが、学部時代の恩師である原澤芳太郎先生(東北大学名誉教授)との出会いが大きく影響している。組織論で有名なバーナードやサイモンを知ったのも先生を通じてであり、私が組織論の研究者になるきっかけをつくってくれた。原澤先生との出会いがなければ、研究者の道を志すことはなかった。
大学院に入学し、当初の研究テーマは官僚制の研究をしようと思った。ところが、当時、講師であった加護野忠男先生(神戸大学名誉教授、甲南大学特別招聘教授)から、「金井君、イノベーションを研究しない?」というお誘いを受けた。指導教官であった故占部都美先生(神戸大学名誉教授)も良いテーマであると大賛成してくれた。この誘いが私の研究者人生を大きく変えることとなった。もし、当初の計画通りのテーマで研究を実行していれば、今の私はなかった。加護野先生は、それ以降も私の研究者人生に影響を与えた。彼との出会いは、その後の研究者人生の中で初期の重要なネットワーク創造のベースとなったのである。奥村昭博先生(静岡県立大学副学長、慶應義塾大学名誉教授)、友人である榊原清則氏(中央大学大学院教授、慶応大学名誉教授)、野中郁次郎先生(一橋大学名誉教授)等も加護野先生から紹介された。私にとって彼は、研究者としてのモデルであると同時に、研究の独自性を考える際の指針となった。彼の偉大さを意識している故に、彼と同じ道は歩まないということを考えた。
私がベンチャーを研究するきっかけも偶然からである。イノベーションを研究していく中で、それまでの主たる対象は大企業であった(博士課程の単位取得論文は、自治体のイノベーションについてであるが、イノベーション研究で意識していたのは大企業におけるイノベーションであった)。博士課程の単位取得後、弘前大学人文学部経済学科の公募で採用が決定し、その際にどのようなテーマで研究するかを考えて、中小企業のイノベーションを研究していくことを決意した。理由は、青森や北海道で大企業を対象に研究しても、研究対象がないことと中小企業のイノベーション研究がほとんどないと言うことからであった。イノベーションでも、特に、戦略のイノベーションを研究した。もし、私が東京や大阪の大学に就職していたら、中小企業を研究の対象にすることはなかった。弘前大学という都会を離れた大学に赴任したことが、中小企業に目を向けさせたのである。
その後、我が国でもベンチャー研究に目が向けられるようになった(ベンチャーに関する我が国における代表的学会である日本ベンチャー学会の設立が1997年、企業家研究フォーラムの設立が2002年))。ベンチャー学会が設立される前に、清成忠男先生(法政大学名誉教授、元、法政大学総長)と北海道でお会いする機会があり、自分の研究と合う学会が我が国にないので困っているという話をしたら、「今度ベンチャー学会を設立するつもりですので、金井さんも加わってください」というお話があった。私の場合、中小企業のイノベーションを研究していたことが、自然にベンチャー研究へ繋がっていった。時代の動きが、私の研究と波長が合うようになったといっても良い。したがって、自分としては、特別ベンチャー研究をするとという意識は薄かった。その後、研究はベンチャー研究、企業家活動や産業クラスターの研究そしてソーシャル・イノベーション研究へと発展してきた。私の研究方法の特徴を一言で表すと・「アクション・リサーチ」である。つまり、理論と実践を繰り返しながら、実践的理論を創りあげると言うことである。平成元年に北海道大学に移ってから一貫してアクション・リサーチをベースにした研究を行ってきている。これが私の強みであり、多くの他の研究者と異なる私の独自性になっている。またこの研究方法をとったことが、後述するように青森大学の学長を受諾するベースにもなっている。
このように、私のヒストリーを振り返ってみると、明確な計画に沿っていると言うよりは、偶然に左右されているといった方が正確である。戦略論的に言うならば、計画性と言うよりは創発性の色合いが濃い戦略プロセスであるといえる。確かに、決定は間違いなく私が下したものである。しかし、決定に至るまでのプロセスは偶然に左右されている。私の人生の中で、私が計画し、決定したのは、高校、大学、大学院への進学、会社への就職、そして最初の弘前大学への就職であった。その後、滋賀大学、北海道大学、大阪大学、大阪商業大学、青森大学で研究を行ってきているが、私が探し求めたというよりは、人とのつながりの中でお誘いを受けた大学に行くことを決めたというのが正確である。その際の原則は、機会主義的行動をとることなく、状況を見て現行の組織にとどまるか、最初にお誘いを受けたところに行くということを考えた。私の行動を見て、多くの人は「変わっている」と評するが、そのうちに「金井さんらしいね」と表現が変わってきた。
私と青森大学が繋がるきっかけとなったのが、東京キャンパス構想であることは前述したとおりである。東京キャンパスを、ベンチャーや中小企業に焦点を当てて研究、教育する大学にするという構想を持っていた岡島理事長が、日本ベンチャー学会の会長であった松田修一先生(早稲田大学名誉教授)に相談を持ち込んだところ、松田先生から私にこの構想に興味がないですかという連絡が入ったことがそもそもの始まりであった。松田先生と私は日本ベンチャー学会で会長を経験し、松田先生が会長であったときに副会長としてご一緒させていただいた関係にあった。常々、ベンチャー、企業家活動、中小企業のイノベーションを集中的に研究、教育できる大学があれば良いと考えていたので、お手伝いしますと気軽に返事したことから青森大学へと繋がる道がスタートした。東京や札幌で何度となく理事長の話を聞き、私も意見を言ったが、具体的な歩みがスタートしない日が続いた。このようなやりとりが1年以上続いたある日、理事長から青森大学の学長選挙に立候補してくださいとの唐突ともいえる依頼があった。それまで、東京キャンパスに何らかの形で関わることはあるが、青森大学の本体、しかも学長として行くことは想定してはいなかったので、しばらく考えさせてくださいと返答した。青森大学の状況は、理事長から話を伺っていたので、正直、悩んだ。全く知っている教職員がいない組織における改革である。考えれば考えるほど、私にとって荷が重いタスクに思えたからだ。これまで、研究として組織改革とリーダーシップについて学び、講義で学生に説明してきた。しかし、これまでアクション・リサーチを行ってきたことと、自らの改革の理論を実践し、地域や学生にとって望ましい大学を実現してみたいという気持ちが私の挑戦心をかき立てた。
選挙で学長に推挙されたものの、4月1日の辞令交付当日まで大学に足を踏み入れたことのない状況での学長1年目は、想定していたよりも遙かに大変だった。何はともあれ、実際に自分の目で学園と大学の状況を確認し、次年度以降の本格的変革のためのグループを組織化し、私流のやり方を大学に浸透させることに力を入れた。そのために、改革ビジョン2018を掲げ、なぜ改革が必要かを説明し、ビジョンと青森大学の理念との関係を説明し続けた。しかし、前向きの改革よりもこれまで改革されずに積み残された課題に対応することが多かった。しかし、曲がりなりにも文部科学省との交渉を経て青森大学総合経営学部東京キャンパスを開設できたことは大学にとって大きな前進であった。この間の、理事長の情熱と行動力には感服させられた。
2年目に入って、改革のコアとなるメンバーを組織化し、青森大学改革が本格的に始動してきた。軸をぶらさずに、情熱を持ってワクワクし、教職員と対話をしながらコラボレーションし、青森大学の改革を進めていくことができればと考えている。
振り返ると、私の人生は、多様な人々との偶然の出会いとセレンディピティに彩られているといえる。青森大学の改革も、セレンディピティに恵まれることを願っている。

 

金井 一賴(かない かずより)
青森大学学長
1949年生まれ。博士(経済学:大阪大学)、経営学修士(神戸大学)。北海道大学大学院経済学研究科教授、大阪大学大学院経済学研究科教授、大阪大学名誉教授。日本ベンチャー学会元会長。代表的な著書に『ベンチャー企業経営論』(有斐閣)、『経営戦略 -- 論理性・創造性・社会性の追求』(有斐閣アルマ)など。

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